2003年11月1日開業。リウマチ膠原病(こうげんびょう)の専門ですが、この疾患群は、からだ全体をGeneralにみることが要求されます。体を総合的に診ること、そして危機をいち早く判断し、高度専門医療機関と連携すること、このことは「西成田医院」の基本的姿勢です。
そしてまた、体のみならず、心や精神の問題にも力の及ぶかぎり対応して参ります。
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ごあいさつ

2024年1月1日

新年明けましておめでとうございます。

新春から暗い話題で恐縮ですが、昨年の異常気象と自然災害は、長年指摘されながら、どこか遠くのことと思っていた「地球温暖化」を、まざまざと実感させられました。
また、各地の戦禍の悲惨さには目を覆いたくなります。地球という生命体の上で何が起こっているのか。出来ることは少なく、限定的ですが、「目を閉じること」、「考えること」は止めてはいけないと感じています。

今年も皆様方のご健勝とご多幸を祈念いたします。


2023年1月1日

昨年、古希を迎えました。

収束しない新型コロナ感染症、ウクライナのことなどを含め、私には忘れられない1年でした。
新しい年を迎え、目の前の一歩を日々大切にしたいと思っています。
今年もよろしくお願いします。

皆様方のご健勝を祈ります。


2022年1月1日
新年明けましておめでとうございます。

昨年もコロナの時代でした。
100年に一度といわれるパンデミックを経験するなか、私どもが享受してきた、社会や組織、町の在り様、あるいは文化的なものへの価値観、意識等についても、今年は考えてもいい年かもしれません。
今後も起こり得る「禍」というものに備える、人の変容を前向きに考える貴重な時間にしたいものです。

今年はコロナ感染症がただの「かぜ」になることを願いながら、皆さま方のご健勝を祈ります。


2021年1月1日
新年あけましておめでとうございます。

昨年は新型コロナ感染症で明け暮れた1年でしたが、この1年の始まりにあたり、皆様かたのご多幸と社会の安寧を祈念します。

考えてみれば、人類の歴史はウイルスとの戦いの歴史であったかもしれません。インフルエンザひとつとっても、「スペインかぜ」と呼ばれた時代から約100年、今やっとウイズ・インフルエンザの時代になったとも言えます。今年こそ、本当の意味でのウイズ・コロナの時代になるよう願ってやみません。
アフタコロナは、ビフォアコロナなのでしょうか。問うてみる必要があるかもしれません。


2020年1月1日
新年あけましておめでとうございます。

昨年は大雨や台風の被害で地球の「気候温暖化」を実感させられました。
我々の今の装いはごく短い歴史と言わざるを得ません。
気の遠くなるような、長い歴史のある地球という生命体に、我々はもう少し敬意を払ってもいいかもしれません。

文明の発生はほとんど純粋に起こりました。文化として歩みを始めるとそうとも限りません。文化と名がつけばそれが全ていいとは言えない。清濁いろいろ、文化、あるいは文化が創りだすもの、さらにその価値観そのものに、常に検証を加える姿勢が必要であろうと思います。

オリンピックイヤー、東京オリンピックです。東京は、前回1964年。いろいろ想いは巡ります。

本年も皆様方のご多幸を祈念いたします。


2019年1月1日
新年あけましておめでとうございます。

昨年は「あおり運転」の痛ましい事件がずいぶんと話題になりました。
数年前、車で往診に出かけ、途中で脱輪してしまったことがあります。やむなく車を乗り捨て、徒歩で患者さんの家に向かいました。以前何度も車で往診した道ですが、歩いてみると見える風景が違う。車で通り過ぎる風景と、歩きながら見える風景がこんなにも違うものかと驚いた記憶が残っています。
日本が車社会と言える時代になって、たかだか数十年。その時代の前後で、ある種の日本人の「精神性」が変わってしまったのではないかと感じます。むろん、時代の環境、あるいは「装置」が変われば、それは良くも悪くも当然ですが。
開業して15年が過ぎました。
今年は、歩きながら周囲の風景を見ることを心掛けたい、そう思っています。



2018年1月1日
新年あけましておめでとうございます。

昨年のノーベル文学賞は、長崎市生まれのイギリス人カズオ・イシグロ氏でした。日本人初のノーベル賞作家は川端康成です。受賞講演は「美しい日本の私」。当時何かピンとこないものを感じていたのでしたが、現在のグローバル化が進む日本で、「美しい日本人とは何か」というようなことを考えます。「民族意識」は、薄い被膜で包まれているようなもので(司馬遼太郎)、何かの刺激ですぐに破れてしまいます。むき出しになるとそれは、「差別」や「分断」をもたらします。冷静に日本人の「美しさ」「品性」を考えたい、そう感じています。

皆様方のご健勝、ご多幸を祈念いたします。


2017年1月1日
新年明けましておめでとうございます。

「寛容」と「非寛容」のことを考えています。この2つがはっきりと分かれる状況にやや危惧を感じています。原理、原則が大事であることは事実です。一方、社会があまりに非寛容であることも問題だと思います。
 30年以上も前の話ですが、恩師から一冊の著書をいただき、裏表紙に自筆で「寛恕」とある。当時「かんじょ」ともまともに読めなかった。今、やっと「寛恕」の意味を考え始めています。

本年も、皆様方にとってより良い年になりますよう 祈念いたします。


西成田医院
院長 西成田眞




2016年1月1日

新年あけましておめでとうございます。

似顔絵作家、山藤章二氏が、およそ以下のような、面白い話をしている。
「さる有名な登山家が、もう数メートルで頂上という所から、危険を感じ引き返す、
これが本当の勇気ではないか、という話が伝わっている。同様に、今、私たちが置かれている文明の地平、ここで一度踏みとどまり、時には少し引き返すことも考えていいのではないか。」

便利であること、効率的であることのみを追求することが、文明の進歩と考えるのであれば、それは少し疑ってかかる必要があるかもしれない。踏みとどまり、引き返す勇気を持ってもよいかもしれない。そんな時代のような気がする。

今年も、皆様かたにとって明るく、幸多い年になるよう、祈念いたします。


<2015年1月1日>

新年あけましておめでとうございます。
昨年もいろいろありました。今年もめげずに愚直に「医療道」に邁進してまいります。

新年から硬い話で恐縮ですが、「近代」あるいは経済的に言えば資本主義なるものはいつごろから始まったのでしょうか。仮に、ワットによる蒸気機関の発明、開発あたりを起点とすれば、18世紀後半のことですから、たかだかというべきか、およそ250年ほど前のこととなります。その後、石炭、石油の発堀という大事業が展開され、社会のインフラ整備という点では、資本主義の大きな牽引役となりました。日本の戦後という視点で言えば、いわゆる白物家電、自動車の普及につながり、次いでIT産業、携帯、パソコン、スマートフォンへと個人の消費は向かいます。さて、次に来る個人の消費とは何でしょう。経済成長、好景気、キーは国内需要、個人消費と政治は言います。何に消費を求めるのかよくわかりません。国内需要を支え得る個別具体的「商品」は何なのか。「エコ」は一つの戦略、選択肢でした。家の電力ぐらいを賄える自然エネルギーの「蓄電池」。一家に一台。初夢でしょうか。震災後、多くの国民が漠然と夢想したのはそのあたりでなかったのか?残念ながら強固な「岩盤規制」とシステムは何ら変わっていないようです。夢の続きはあるのか。あってほしいものです。

本年も皆様かたのご多幸を心より祈念いたします。


2014年1月1日

新年明けましておめでとうございます。
当院は昨年11月、開院10年を迎えました。
長かったのか短かったのか、個人的感想を言えばあっというまの10年でした。とは言え、誇れるものも反省するものも、その他もろもろ、思い出せばきりがありません。

この10年、社会的にもさまざまな出来事がありました。
何と言っても東日本大震災の件は忘れることはできません。

 昨年の流行語大賞の一つはTVドラマで有名になった「じぇじぇじぇ」ということばでした。三陸、気仙沼のあたりの「方言」とのことですが、考えてみれば「標準語」なるものの成立はたかだか100年あまりにすぎません。大正年代末、東京の愛宕山の現NHKの放送塔から、ラジオ放送として流された言葉が音声言語としての標準語の始まりです。
大震災で直撃を受けた地方の「方言」とその背景の文化の重みに、思いを深くせざるを得ません。

開院11年目に入った今はただ、月並みですが、原点の精神を忘れず次の10年に向かって体の続くかぎり、誠実な医療を粛々と進めるだけです。

本年もよろしくお願いいたします。


2013年1月1日

新年おめでとうございます。
私事ですが、昨年は「還暦」でした。論語では「耳順」と言います。修養が進み、理にかなえば何でも理解する、という意味だそうです。
言わずと知れたことですが、とても私の及ぶ境地ではありません。

東日本大震災から2年が立とうとしています。物理的複興は遅々として進まず、強い懸念を抱いているのは、私だけではないと思います。それのみならず、昨年の年頭のあいさつにも書きましたが、大切なことは一人ひとりの意識の変化、大きく言えば、文化、あるいはこれまで漠然と享受してきた物事への価値観、といったものまでの社会的変容ができなければ、震災から何も学んだことにはならないと考えます。それでは2万人の御霊に申し訳がたたない。

自戒を込めながら、自分の在り様を顧みています。

皆様方にとって、明るく健康な1年であることを、心より記念いたします。


2012/1/1 震災後という時代

「謹賀新年」と言うことは止めておきましょう。「がんばろう」と言うことも止めておきましょう。「絆」ということばは、いい言葉ですが、被災者の置かれている状況は過酷で生易しいものではなく、ワンフレーズでくくれないものだと考えます。当地域も被災地でした。困難な状況を経験し、あるいは未だひきずりながら、果てしないストレスを抱えている方が多数おられるものと推察します。

「震災後」という新しい時代が始まったと感じています。過去にもっていた「ものの見方、考え方」は少しずつ変容していると思いますし、大仰に言えば、文化そのものにも影響を与えていくのではないでしょうか。また、そうあらねばならないと考えます。

 この時代にいることを奇貨とするしかありません。悲観も楽観もしません。私にとっては粛々と医療人としてすべきことをまっとうしていくしかありません。今年こそ、「震災後」という新しい時代の幕開けにふさわしいよい年であるよう、願ってやみません。


2011年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 皆様方のご健康とご多幸を祈ります。
 今年こそ明るい出来事がたくさんあるようにと願わずにはおれません。そのくらい昨年とういう年は、息が詰まるような閉塞感が強い年であったように思います。私個人でどうにかなる問題でもありませんが、時代状況にめけず前向きに進んでいく覚悟です
 昨年は大相撲の世界も波乱の年でした。その中でも横綱、白鵬の連勝記録は見事というほかありません。言われるように、日本人以上に日本的精神の持ち主である故に、浅薄な民族感情を吹き飛ばして賞賛する気持ちになります。白鵬自身が尊敬する力士として常々口にしますが、大横綱の双葉山。69連勝し負けを喫したとき、「我、未だ木鶏足り得ず」(ワレ モッケイニオヨバズ)と言ったことも有名です。闘鶏用の軍鶏は、一番弱いのは、よく鳴き叫んで相手を威嚇しやたらに動きまわる軍鶏(原典「荘子・外編」によれば空威張りして「俺が」という軍鶏))。次は、動きはないが威嚇の声の大きい軍鶏(同じく、相手の姿をみると興奮する軍鶏)。次に強くなるとじっと動かず相手を睨んでいるだけの軍鶏(にらみつけて圧倒する軍鶏)。そして、その上をいくのが「木鶏」。木彫りと見まがうほどに静かで存在さえ薄いような軍鶏。
 さてさて、私は医師として人間として、どの程度の軍鶏なのか?白鵬が負けてから、双葉山を連想し折々に考えています。むろん、木鶏足り得ずです。
 本年も何卒よろしくお願いいたします。



2010年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。皆様のご健康を祈ります。
 今更ながらですが、「健康」ということの大切さを改めて実感しています。同時にまた、病気と闘われている方の心情に、さらにさらに、思いを致さねばという思いを新たにしています。
 昨年は「新」の多い年でした。本邦でも米国でも政権の交代がありました。、わが国では裁判員制度の導入など制度上の「新」もあり、スポーツ界ではイチローやボルトの記録も前人未踏でした。そして、現在進行中の新型インフルエンザ。インフルエンザについて触れますが、私は人類が最後の最後まで克服すべき病として残るのは、インフルエンザに代表されるウイルスによって引き起こされる疾患だと思っています。じたばたしても始まりません。英知を集め、粛々と事にあたるしかありません。新しい英知で、度々に現れるウイルスに勝利することは現在も未来においても十分可能だと確信します。
 新年が文字通り「新しい」未来の一歩になることを願って止みません。私について言えば、公人としても私人としてもまだまだ「発展途上」であることを認識しつつ、「新しい」高みを目指す覚悟でいます。
 本年も何卒よろしくお願いします。


2009年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
当院は、開業以来5年が経ちました。「もう5年」という意識と「まだ5年」という意識と半々でやや複雑な思いです。満足すべきこともないではありませんが、それ以上に自分とその診療に忸怩たるものがあるのも事実です。多くの総合病院では第3者による評価や患者さんの声を受け取るシステムが確立していますが、個人の診療所ではなかなかそうもいきません。「KY」にならぬよう、ひとり一人の患者さんと向き合うなかで、真摯に対応することでご容赦をいただくしかありません。
 「社会的常識に欠ける」医者の一人かもしれませんが、さらにセンスを磨き、それ以上にコモンセンスを深めることを、日々の自分の戒めにしたいと考えます。
 昨年はおぞましい事件が相次ぎ、何とも暗い不況の年でした。昨年の漢字は「変」ということですが、「変」の結果は今年です。「大変」ではなく「改変」の年であるよう願って止みません・
 6年目の出発の年頭にあたり、志を強く新たにして診療にあたる所存です。
 最後になりましたが、皆様方のご健勝を祈念いたします。



2008年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。皆様かたのご多幸を祈念いたします。
昨年、診療のなかで折々に感じたことは、「心と体」の問題でした。私のなかでは、ずっと以前からある問題意識ですが、昨年は特につよく感じました。世の中の仕組みは複雑化し、本来あるべきシステムが崩壊し、あるいは本来あってはならない価値観が台頭する。ものは順にでるのではなく逆にでてくる。「ストレス社会」ということばは言われて久しいことばですが、近頃、ますます実感される方も多いのではないでしょうか。何故なのか?分析はその道の専門家に任せましょう。
 医療は、病気をみても、なかなか心の問題には踏み込めない。心の問題さえも薬で解決しようとする。薬は大事ですが、何か別のアプローチも必要だろうと思います。そんな忸怩たるおもいの一年でした。無論、私は「心の問題」の専門医ではありませんし、「余計なお世話」と感じられる方も少なくないでしょう。私にできることは「体の病気」に対する治療場面で、可能な限り「安心」を与え続けることだと思っています。限られた診療時間ですので、どのくらい力になれているのか心配です。どうぞ、可能な方はホームページのメールからアプローチしてください。別の
ダイレクトメールからでも結構です。dchyf635ybb.ne.jpです。
 本年も何卒よろしくお願いいたします。



2007年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
皆様かたにとって、今年も良い年であるよう祈念いたします。

 お蔭様で開業して3年目が過ぎました。月日の経つのが速く感じられます。

 ご存知の方も多いと思いますが、「地球暦」というのがあります。ビックバンで宇宙が誕生したのが約46億年前とされます。それを「大晦日」つまり12月31日の午前0時とすると、悠久の時間が過ぎ、生命らしきものがこの地球に存在し始めるのが6月ごろ。恐竜が滅ぶのが12月24日。人類が誕生し文明らしきものを作り出し「文明開化」するのは、除夜の鐘のほんの数分前であり、産業革命は11時59分のことです。。考えてみれば、この大きな時間軸のなかで、たかだかお互いの数十年の時間を共有するということは、何とも摩訶不思議なことです。一期一会の精神というべきでしょうか。

 今年の私のキーワードは「仏手仏心」です。
 本年も何卒よろしくお願いいたします。



2006年1月1月

 新年明けましておめでとうございます。
皆様かたの御健康と御多幸をお祈りいたします。今年も何卒よろしくお願いいたします。

本年も「リウマチ医としての高い専門性と一般内科医としての良質な医療」を目指し努力
してまいります。

よく言われることですが、たとえば一級何某、二級何某、といった職業はあまたありますが、
医師に一級、二級はありません。医師国家試験に合格すれば生涯医師であり続けます。
免許の更新制があるわけでもなく、卒後一定の期間除けばを研修が義務づけられている
わけでもありません。それだけに、医師個人の自覚は重要だと考えます。
「日々精進」です。
歳を経ることで培われるものもあるし、歳を経ることで本来失ってはいけないものを失うこと
もあるわけで、そのことはよくよく留意していかねばと考えています。


2004年5月1日

 開業して半年がたちました。病院としてのアメニティー、そして職員の接遇態度、私自身まだまだ自信がもてない日々です。無論、診療内容そのものにも反省することが多く、どれだけ満足いただいているか、いつも不安でいます。ただ、常により良い方向へと努力は怠ってはおりませんので今後ともよろしくお願いしたいと思います。
 前回のあいさつにも書きましたが、私の専門は「リウマチ膠原病」ですが、特にこの分野は内科一般を幅広く診ることが、基本的に求められる分野です。糖尿病や高血圧といったいわゆる生活習慣病も当然のことながら守備範囲です。ある意味では、「何でも屋」です。ただ、それとは別に常に機器、人材のそろっている総合病院とは連携を取れる準備はしており、私の力の及ばない事柄についてはいつでも御紹介するつもりでいます。
 西成田医院が、何がしかの存在意義を持てるよう、さらに前進して参りたいと考えております。
皆様かたの卒直な御意見などもお聞かせください。